【問題】
本文を読んで、下記の問題に答えなさい。
江戸初期(17世紀前半)の文化を( ① )文化と言い、戦国乱世の( ② )文化を継承し、京都の公家、武家、上流階級の町人たちが主導しました。この時代の建築物としては( ③ )が有名です。
江戸中期(17世紀終わり頃~18世紀初頭)の文化を( ④ )文化と言い、武士や庶民の間から多くの学者が出て、社会の現実にそった独創的な学問が各種の分野で発達しました。
松尾芭蕉の( ⑤ )や、( ⑥ )の「好色一代男」、( ⑦ )の「曾根崎心中」など、文学も発達しました。
江戸後期(19世紀初頭頃~19世紀半ば)の文化を( ⑧ )文化と言い、武士や町人の生活が華美となり、通俗的で享楽的な傾向が強い文化となりました。特に町人の間で都会風の洗練された「通」や「粋」が尊ばれ、それに反するものは「野暮」とされ、さまざまな文芸が出現しました。
( ⑨ )の「東海道中膝栗毛」や( ⑩ )の「南総里見八犬伝」など世相を反映した作品が多く見られました。また( ⑪ )の「東海道五十三次」や( ⑫ )の「富嶽三十六景」などの( ⑬ )が発達(※A)、江戸期の町人文化の全盛期となりました。
1.本文のカッコ内①~⑬に入る語句を下記から選びなさい。
2.下線部Aのような江戸後期の美術史の説明として、明らかに異なっているものを選びなさい。
㋐東洲斎写楽の役者絵が描かれた
㋑円山応挙が装飾画風を確立した
㋒横山大観が水墨画で新境地を開拓した
㋓司馬江漢は西洋画の遠近法を取り入れて油絵や銅版画を描いた
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【解答と解説】
1.
江戸初期(17世紀前半)の文化を(①→ウ.寛永)文化と言い、戦国乱世の(②→カ.桃山)文化を継承し、京都の公家、武家、上流階級の町人たちが主導しました。この時代の建築物としては(③→ケ.日光東照宮)が有名です。
江戸中期(17世紀終わり頃~18世紀初頭)の文化を(④→オ.元禄)文化と言い、武士や庶民の間から多くの学者が出て、社会の現実にそった独創的な学問が各種の分野で発達しました。
松尾芭蕉の(⑤→ス.「奥の細道」)や、(⑥→チ.井原西鶴)の「好色一代男」、(⑦→テ.近松門左衛門)の「曾根崎心中」など、文学も発達しました。
江戸後期(19世紀初頭頃~19世紀半ば)の文化を(⑧→ア.化政)文化と言い、武士や町人の生活が華美となり、通俗的で享楽的な傾向が強い文化となりました。特に町人の間で都会風の洗練された「通」、「粋」が尊ばれ、それに反するものは「野暮」とされ、さまざまな文芸が出現しました。
(⑨→ツ.十返舎一九)の「東海道中膝栗毛」や(⑩→ナ.滝沢馬琴)の「南総里見八犬伝」など世相を反映した作品が多く見られました。また(⑪→ヒ.歌川広重)の「東海道五十三次」や(⑫→ハ.葛飾北斎)の「富嶽三十六景」などの(⑬→ホ.浮世絵)が発達(※A)、江戸期の町人文化の全盛期となりました。
2.㋒
横山大観は江戸後期に活躍した画家ではなく、明治以降の日本を代表する画家で、日本美術院の創立に参加。線描を抑えた独特の画法「朦朧体」を確立しました。
いかがでしたか。選択肢の語句群が多くてげんなりしたかもしれませんが、基本的な問題ばかりなので、さほど難しくはなかったと思います
江戸の文化は、「寛永」「元禄」「化政」の3つがよく試験に出る分野です。文学や学問、美術作品が多く混同しやすいので、表などにしてまとめておくと良いでしょう。
また、選択肢となっている語群のワードはどれも重要な語句ばかりですので、それぞれ説明できるようにしっかり学習しておきましょう。その際は、単に人物や作品名を覚えるだけでなく、その時代や流れまで合わせて覚えておきましょう。