子どもが先生に言います。
「この問題が分かりません。」
そこで先生が、
「この問題はね、ここがこうで...ほら、答えが出たでしょう。」
そして子どもが、
「 なるほど。よく分かりました!」
このようなやりとりは、勉強の現場で当然の如く行われている事でしょう。
しかし私は、この教え方では子どもの成績が上がりにくいばかりか、先生に依存する子どもを作り出してしまう恐れがあると考えています。自分の頭で考えなくても、先生に聞けば、手を取って答えまで導いてくれる、と。人間は、つい楽な方に流れてしまいがちですから、自力で答えに辿り着こうという努力を怠ってしまうのです。
子どもに勉強を教えている時、私は常々どこまで教えれば良いのかを考えます。勉強において最も大切な事の一つは、もちろん"理解する"事ですが、もう一つは「自分で出来た!」と思える事ではないでしょうか。そしてこの達成感は、勉強をするエネルギー 源となります。それは根源的であり、非常に大切な事だと思います。
子どもの学力や理解度を分かった上で、「ここまで教えれば、あとは自分で答えを出せるだろう」というところまで教え、たとえ答えに至る残りのプロセスがどれだけ僅かでも、最後は子どもに委ねるのです。
教える側にとっては、答えを出すところまで教えた方が、手っ取り早いしスッキリするのですが、問題を解く上で最も"おいしい"ところを、あえて子どもに譲ってあげるのです。
人に説明された事よりも、自分で出来た事の方がより理解が深まり、記憶に残るものです。何よりも、「最後は自力で正解に辿り着いたんだ」という達成感、そして爽快感は、さらに勉強を続けるための原動力となるでしょう。
◆ 算数科 前田敏孝◆